代表紹介
代表プロフィール

洲濵 拓志(すはま たくし)
株式会社財務部 代表取締役/洲浜不動産鑑定事務所 代表
1964年島根県生まれ。京都大学卒業。
大学卒業後、大手財閥系の三井銀行(現在の三井住友銀行)に就職。20年間にわたり、1,120社の法人に対して総額およそ1,000億円の融資業務に携わる。担保物件を正しく評価するスキルは必須と感じ、働きながら独学で宅地建物取引士および不動産鑑定士の国家資格を取得。
以後、不動産を軸とした業務に携わるべく東京スター銀行に転職。2年間の不動産業者向け融資業務等を経て、2014年に洲浜不動産鑑定事務所を開業。不動産の個人オーナーへのコンサルティングを行う一方、自らも不動産オーナーとしてアパート経営を行う。
法人からの財務相談が増えたことを受け、外部CFOとしてコンサルティングサービスを提供すべく、2016年に株式会社財務部を設立。「資金繰り」という悩みからすべての経営者を解放し、会社という組織をあらゆる成長の場とすることを理念に掲げる。現在は銀行員時代の経験と人脈を生かした資金調達を得意とし、2019年の宅地建物取引業免許取得後は不動産の売買も手掛ける。
著書

幻冬舎メディアコンサルティング
『相続不動産のことがよくわかる本』(共著)
2021年12月

ぱる出版
『貯蓄800万円「安心老後」』
2018年1月
執筆・寄稿実績

銀行実務
広域ビジネスマッチングの進め方〜島根銀行の事例に学ぶ〜
2021年8月号

銀行実務
営業店担当者も知っておきたい「不動産評価」事例解説
2021年3月号
メディア実績
税務経理
「私の苦心」相続案件における税理士との連携
2026年6月30日号
講演・研修実績
財務省
「不動産鑑定理論研修」講師(鑑定理論・行政法規)
平成30年度・令和元年度
対象: 財務省・財務局及び沖縄総合事務局財務部職員
解決事例を動画でご覧いただけます
代表インタビュー

「目の前の人を、本気で助けたい」
生い立ち――「我慢」と「聞く力」を覚えた少年時代

本日はよろしくお願いいたします。まずは今のお仕事につながる原点として、幼い頃のことからお聞かせいただけますでしょうか。どのようなご性格のお子さんでいらっしゃったのですか。
私は島根の生まれで、両親とも学校の先生でした。姉と年子で、しかも私は計画外だったそうで(笑)、生まれてすぐ祖母のところに預けられたんです。三歳くらいまで年配の方に囲まれて育ったので、今でも年上の方と過ごすのが好きですね。ただ、松江に戻ってすぐ妹が生まれて、私は母に甘えきれないまま「お兄ちゃんなんだから我慢しなさい」と言われて育った。長男として期待される一方で、なかなか甘えられない。そのぶん、言いたいことを飲み込んで、人の話を聞く癖がついたのかもしれません。
幼い頃から、我慢強い一面をお持ちだったのですね。
いや、根はやんちゃでしたよ(笑)。悪さをして教頭先生に叱られたこともあります。島根は狭いですから、すぐ噂が親の耳に入って、雷が落ちる。やんちゃだけど、叱られてちゃんとしなきゃと思う――そのくり返しでしたね。
ガンジーとの出会い――「本気」を知って京大へ

その後、京都大学へと進学されますが、幼い頃から勉強一筋でいらっしゃったのでしょうか。
それが、高校に入ってしばらくは成績が真ん中から下へ落ちていったんです。地元の進学校で周りは優秀な人ばかり。何のために勉強するのかが自分の中で結びつかなかった。剣道部にも入っていましたが、初段の試験のときに「剣道は勝ち負けじゃない、人格形成のためにやるんだ」と学んで、武士道ってこういうことかと感動したのを覚えています。
大きな転機があったのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
本を読むのが好きで、世界の偉人の伝記を読み漁っていたんです。あるとき、ガンジーの本に強烈に感動しましてね。抑えつけられた立場から人々をまとめて独立を成し遂げた。しかも年表を見たら、誕生日が私と同じ十月二日だった。これはもう運命だと勘違いして(笑)、「俺はこの国を元気にするんだ」と本気で思ったんです。それで東大・京大を目指すと決めて、一年浪人して京大に受かりました。
それこそ、寝る間も惜しんで勉強に打ち込まれたのですね。
先生に「お前、本気を出してないだろう」と言われたのがきっかけでした。本気ってこういうことか、と目標が見えた瞬間に、朝早く起きて、自分の体力と進捗を管理しながらやり切った。あのとき「戦略を立てて、自分を管理して結果を出す」という土台ができたと思います。
大学時代――「分かりやすく伝える」喜びを知る

念願の京都大学では、どのような学生生活を送っていらっしゃったのでしょうか。
高校まで勉強と部活ばかりだったので、人間性の幅を広げようとサークルを三つ掛け持ちしました。バンドでボーカルをやったり、社交ダンス、日本や世界の伝統芸能をやる会にも。人前で歌ったり喋ったりするのが、実は苦にならないんです。マイクを握ると怖くない(笑)。
アルバイトも経験されたそうですが、どのようなことをなさっていたのでしょうか。
塾講師と家庭教師です。これが今の仕事の原点かもしれません。数学が苦手だという女子高生に、三角関数を図解で「このルールさえ押さえれば、どんな問題も解ける」と教えたら、中間で百点、期末で九十点。しかも「あと十点取れたのに」と悔しがるくらい前向きになってくれて(笑)。難しいことを分かりやすく伝えて、その人が伸びていく――あの心地よさが忘れられない。今もセミナーが大好きなのは、そのときの喜びとつながっています。
銀行員時代――バブル崩壊で知った「手のひら返し」

ご卒業後は大手都市銀行のS銀行へ入行されます。世の中を変えたいというお気持ちは、どのようにつながっていったのでしょうか。
国を良くしたいなら、経済の中心である銀行で人脈と仕組みを学ぶのが近道だと思ったんです。志は持ったまま銀行に入りました。大阪、東京と経験を積むなかで、忘れられない出来事があります。バブルが弾けたんです。
その頃、ご担当されていた案件で、印象に残る出来事があったのですね。
先輩から引き継いだ融資に、蕎麦屋さんに一億円貸して株を買わせたり、散髪屋さんにゴルフ会員権を買わせたり、本業と関係のないものばかりあった。土地という担保があるから貸す、という銀行の論理です。ところがバブルが弾けて不動産が急落すると、銀行は蛇口をぴたりと止めて「早く回収しろ」と。私はお客様のところへ行って「半分返してください」と頭を下げる。お客様は「お前んとこが頼んできたから借りたんだ」と。そのとき数字を上げた支店長はもう出世していなくて、後始末は全部こちらに回ってくる。これが銀行の体質かと、正直、失望しました。
そのご経験が、今の価値観につながっていったのでしょうか。
ええ。中小企業の経営者は、社員を守るために命がけでやっている。なのに銀行は担保しか見ない。担保があるから貸す、なければ貸さない。事業そのものを見ていないんです。だから私は「会社の事業をきちんと見て応援できる存在になりたい」と強く思うようになりました。ここが今のすべての出発点です。
「担保ではなく、事業そのものを見て応援できる存在になりたい。」
H社長との出会い――「こういう人を応援したい」

大きな転機となる出会いがあったとうかがいました。ぜひお聞かせいただけますか。
新宿支店で飛び込み営業に行った、H社長です。小さな不動産会社でしたが、バブルと銀行にいじめられた地主さんたちを、頼まれて一人ひとりまとめて守っていた。裁判までして。その姿に心を打たれました。困っている人を放っておけないという生き方に、「自分もこういう人を応援したい」と思ったんです。この出会いをきっかけに、不動産を本気で学ぼうと宅建を取り、さらに上を目指して不動産鑑定士に挑戦しました。銀行に勤めながら勉強して、平成十一年に合格。人生で二度目の本気スイッチが入った瞬間でした。
群馬での大活躍――審査部と戦い、経営者を伸ばす

鑑定士にご合格された直後に、群馬へのご転勤に。周囲では「左遷では」という声もあったそうですね。
挨拶回りで「群馬の前橋です」と言うと、みんな言葉を失うんですよ(笑)。今思えば、資格を取って独立されては困る、という会社の判断だったのかもしれません。でも腐らず、新規開拓に打ち込みました。そこで、私の銀行員人生で最大の実績を上げることになるんです。
差し支えなければ、具体的にお聞かせいただけますか。
眼鏡チェーンのJ社さんです。おしゃれで安いメガネが当たり始めた頃、輸入の資金繰りに苦しんでいた。そこで信用状(輸入LC)の仕組みを使って先に資金を出す提案をしたら、資金繰りが劇的に改善して一気に伸びていった。カラオケチェーンのM社さんには十億円の融資枠を作り、店舗展開を後押しして上場まで。遊技場運営のD社さんでは、審査部と正面から戦って新規融資を実現し、社長のご自宅にまでつけられていた余計な担保を外して差し上げた。ご一族から今でも「洲濱さんには足を向けて寝られない」と言っていただいています。
いずれも、決して簡単ではない案件ばかりでいらっしゃいますね。
新しい業態は、審査役を説得しなければ通りません。面倒だから、みんなやらないんです。でも私は、社長の人柄を見て「この人は世の中を良くしようとしている」と感じたら、本気スイッチが入る。日本を良くしようとしている人と、私は本当に相性がいいんです。銀行の中では表彰もされましたが、それ以上に、お客様に感謝されたことが何より嬉しかった。
独立、そして心に残る仕事――人助けが巡り巡って

その後、銀行を退職されてご独立され、今年で十二年になられます。これまでで特に心に残っていらっしゃるお客様とのエピソードがあれば、お聞かせいただけますか。
横浜のあるビルの、ご遺族のお話です。ご主人が急病で亡くなり、経営を何も知らない奥様が社長を継ぐことになった。そこへ借金取りが押し寄せてきて、女性三人が途方に暮れていた。競売になれば二束三文です。私は「高く買ってくださる方を必ず探します」と約束して、想いを引き継いでくれる女性社長を見つけました。売買の決済の日、売り主の奥様と買い主の社長が、それまでの苦労を分かち合って、抱き合って涙を流されたんです。お金だけじゃない、「この人になら託せる」という繋がりでした。
胸が温かくなるお話ですね。
実は、その買い手の女性社長との縁も、以前トラブルに巻き込まれた私を見かねて助けてくださった方なんです。人助けが巡り巡って、また誰かを救う。そういうことが、この仕事にはあるんですね。
ほかにも、難しい案件を手がけてこられたのではないでしょうか。
銀行に余計な担保まで取られて困っていたお客様のケースでは、価値を正しく分析した資料を別の信用金庫に持ち込み、八億円の融資を一度で取り付けて、前の銀行を全額返済し、余計な担保をすべて外しました。多くの経営者は、税金対策で利益を少なく見せているために、本当の実力が銀行に伝わっていない。銀行は築年数だけで機械的に担保価値をゼロと判断してしまう。そこを私が、本質的な価値を見極めてカバーする。銀行員の知識と、鑑定士の目の両方があるからできることなんです。
「銀行員の知識と、鑑定士の目。
その両方があるからできることがある。」
これらを、おひとりで手がけてこられたのですか。
いえ、今は司法書士や税理士の信頼できる仲間とチームを組んでいます。自分に足りない部分は仲間を呼んで、困っているお客様をチーム戦で助ける。「いかに相手のことを思っているか」――その波長が合う人とだからこそ、長く付き合えるんです。
これからのビジョン――日本を、地方から元気に

株式会社財務部としての今後のビジョンについて、お聞かせいただけますでしょうか。
社会に貢献したいという志があって、やる気のある会社さんを、後ろから全力で応援したい。知恵や経験が足りなくても、自分で努力して良くなろうとする人なら、いくらでも力になります。逆に、手っ取り早く金儲けをしたいだけ、という方はお断りしています。ガンジーに憧れたあの頃から、「目の前の人を助けて、感謝される」――そこに私の喜びがあるのは、ずっと変わりません。
資産や事業のお悩みは、なかなか人にはご相談しづらいものかと思います。
資産というのは、じっと持っているだけでも税金や維持費で少しずつ減っていくものなんです。だからこそ、経費を差し引いた手取りをいかに増やすか――「キャッシュフロー経営」が大切になります。私は銀行員として数千社の決算書を見て、鑑定士として不動産も見てきましたから、お金の全体像が見える。どこに罠が潜んでいるかを感じ取って、先回りしてアドバイスができるんです。
そして、故郷への思いも強くお持ちでいらっしゃるのですね。
私には島根という故郷があります。地方から日本を元気にしたい――これは私のライフワークです。日本人の勤勉さや技術力は、世界に誇れるもの。お互いに足を引っ張り合うのではなく、助け合えばもっと良くなる。同じ未来のビジョンを持ち、自立して前を向いている経営者の方々を、私は全力でお支えしたいと思っています。
最後に、ご相談を考えていらっしゃる方へ、一言いただけますでしょうか。
手遅れになる前に、何から手をつけていいか分からない、という状態を一緒に整理して一つずつ解決していきましょう。初回戦略相談からで大丈夫です。一緒に頑張りましょう。
まずは初回戦略相談から
何から手をつけていいか分からない状態のままで構いません。

